フェミニズムの地平Ⅳ

勇気ある声が、次の声を呼ぶ 性暴力被害「フラワーデモ」のうねり 〈寄稿〉北原みのりさん

2019年8月8日東京新聞転載

各地で相次ぐ性暴力事件無罪判決に抗議のフラワーデモが開かれている=6月中旬、東京都千代田区で

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 今年三月、性犯罪事件の無罪判決が四件相次いだ。女性が抵抗できない状況だったと認めたのに無罪、父親による娘への性暴行も無罪…。司法の理不尽さへの怒りと悲しみから、花を持って性暴力の被害者に寄り添う「フラワーデモ」が四月に始まり、毎月十一日に開催されるようになった。今月十一日にも全国各地で開かれる。共感が広がる背景には、長年被害の苦しみを無視してきた社会への異議申し立てがある。

 一連の無罪判決が報道された直後、私は衝撃でいてもたってもいられない思いに駆られた。友人と一緒に、「四月十一日に花を持って集まろう」とツイッターで呼びかけた。団体を通じた動員がなかったにもかかわらず、その晩、東京駅前に四百人以上が集まった。

 驚いたのは予定のスピーチが終わって一時間たっても、誰も帰ろうとしなかったことだ。群集の一人が、「話したい」と手を挙げた。幼少期に性暴力を受け、そのトラウマで学校にも行けなくなり、やっと手にした非正規の仕事でさらにセクハラを受けた人だった。

 「なぜ、被害者が転々としなくてはいけないのですか」。その叫びは次の声を呼び、次の語りはまた次の語りを呼んだ。そこにあったのは、戦略のない、ただ「いてもたってもいられない」という思いだった。

 間もなく福岡と大阪から「こちらでもやりたい」とメールが届いた。声は勢いよく広がり、五月は全国で三カ所、六月は十カ所、七月は十四カ所でフラワーデモが開催された。

フラワーデモでプラカードを掲げる参加者=6月中旬、東京都千代田区で

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 性暴力被害者の多くは女性と子どもだ。デモで「(性暴力を振るわれたときに)殴られれば良かった」と話す女性が何人もいた。「触られた」と訴えるだけでは取り合ってもらえないからだ。胸がふさがる思いだった。長年女性運動をしてきた人が、デモ参加後に電話してきた。「若い女性が、こんなに苦しんでいるなんて、いったい私たちは何をしてきたのか」と。

 震える声で語られる参加者の話はみな違うが、一本の線でつながる。それは性暴力の多くが「なかった」ことにされてきた事実だ。

 韓国は、性暴力被害者への支援が日本の比ではないレベルで充実している。背景にあるのは、沈黙を強いられる彼女・彼らの声を聞く社会の力だ。性暴力の痛みを訴える「#MeToo」は、その声を信じて支える「#WithYou」(あなたと共に)が不可欠なのだ。だから、フラワーデモの花には「あなたの声を聞く」という意思表明を込めた。日本社会には、その意思がずっと欠けていたのだと思う。

 この間、記者と話す機会も多かった。一連の無罪報道の口火を切った福岡地裁久留米支部判決を速報したのは、毎日新聞の女性記者だ。同じく男性社会であるマスコミでは多くの女性記者が日常的なセクハラにあえぎ、当事者として性暴力の問題にかかわろうとしていた。性暴力の無罪判決自体が最近増えたのかどうか、正確には分からない。だが少なくとも「これは報道すべき事実」と考えた記者がいたから、私たちは司法の現実を知ったのだ。

 私たちは性暴力被害者に、ずっと絶望を強いてきた。だが今や、勇気を出して上げられた声は、次の声を呼ぶのだと実感している。まずは刑法で、同意がない性行為は犯罪だと定める必要がある。今はフラワーデモの当面の目標を、来年が見直し時期となっている刑法改正とし、しばらくは続けていこうと思う。最も痛みを感じている人の声に寄り添い、その声が社会を変えていけると信じたい。

 (きたはら・みのり=作家)

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