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沖縄の指定暴力団、海外に拠点 台湾「任侠団体」代表に就任 県警「動向を注視」

2023年5月31日 12:34琉球新報

指定暴力団 旭琉会.

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北中城村内の指定暴力団旭琉会の本部事務所=資料写真

 沖縄県内の指定暴力団・旭琉会の幹部が台湾に本拠地を置く団体代表に就任したことが30日までに分かった。関係者によると団体は「華松山(かしょうざん)」と呼ばれ、「任侠(にんきょう)団体」だと言う。旭琉会の傘下団体が台湾の団体と親交を深めていたことは琉球新報の取材で分かっているが、団体のトップに就任するのは初めて。台湾、中国を巡る非公然団体との連携は新たな局面に入った。

 関係者によると、団体の上部組織は華僑系のネットワークとも連動していて、実態が表面化することがない結社「洪門(ほんめん)」と語る。

 「洪門(ほんめん)」は「青幇(ちんぱん)」と並ぶ世界規模の二大団体とされる。華松山は洪門と関係し友好団体に当たるという。

 2月中旬には華松山の代表就任に伴う継承式があり、県警は警戒態勢をとった。また関係者によると、今月に入って旭琉会幹部は台湾を訪問し、洪門のメンバーも参加した就任披露式も開いている。

 指定暴力団の幹部が海外に足がかりとなる拠点を設けたことに対し、県警関係者は「上部団体を含め傘下団体には台湾マフィアの関与も確認されている。引き続き動向を注視していく」と警戒を強めている。県内での継承式には「洪門」の関係者も列席していたことを県警も把握。団体の性格や目的の把握に努めている。

 洪門は中国で設立された結社とされる。その流れをくむ華松山は中国の思想家、墨子の教えを継ぐ団体として台湾にも拠点を置いているという。


2023年5月24日 15:41琉球新報

短歌研究新人賞 平安まだら 短歌

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平安まだらさん

 第66回短歌研究新人賞(主催・短歌研究社)の発表が11日にあり、読谷村出身の平安(ひらやす)まだらさん(34)=東京都在住=が受賞した。作品は「パキパキの海」(30首)。授賞式(未定)で賞状と賞金20万円が贈られる。応募総数は794通だった。

 平安さんは県内のデザイン系専門学校を卒業後、就職。2019年に上京し、ウェブデザイン制作の仕事に就いている。20年から作歌を開始、ナナロク社の新短歌教室の第一期生。普段は東京新聞を中心に新聞の歌壇欄に投稿している。新人賞への応募は3回目。22年には現代歌人協会主催第51回全国短歌大会の大会賞を受賞している。

 今回の受賞作の中から3首紹介すると―。「パキパキに色調補正されている海の写真にパキパキの笑み」「やらされるエイサーだった秋空に子どもの俺は写真のなかで」「金網に囚われている軟球を取り返そうと網ごと掴む」

 受賞作と選考経過は「短歌研究」7月号に掲載されるが、選考会では「『沖縄』をいかに詠むか、本作は現代におけるひとつの成果である」の発言が委員からあったという。

 平安さんは「まさか取れるとは思っていなかった。栄誉ある賞をいただきうれしい」と受賞の感想。作歌については「力を抜く。言葉に意外性を与える。テクニックに頼りすぎない」を心掛けているという。また「短歌を通して誰かとつながっていたり、読んでもらったりするのがうれしい。これからもそういう時間を大切にしたい」と話した。

 (上原修)

2020年5月5日(火)しんぶん赤旗

 きょうは「こどもの日」です。

 子どもたちは今、新型コロナウイルス感染拡大のもとで、我慢や戸惑いを抱えながらの日々です。

 「なんでがっこうにいけないのかな」(小学1年生)、「友達と会えないからかなしい」(小4)、「ずっと家族といるし、最近外出していないからイライラする」(小5)、「すっごくひま、勉強だらけ」(小6)―。大阪府の日本共産党枚方・交野地区委員会が行っている「子どもアンケート」には率直な回答が寄せられています。

ひとりの人間として尊重

 1989年に国連で採択された子どもの権利条約の12条は、子どもに関わるすべてのことについて、子どもは自分の意見を自由に表し、きちんと聴かれる権利を持っているとうたっています。

 安倍晋三首相は2月27日夕方、全国一律休校要請を突然発表しました。子どもや学校関係者には寝耳に水でした。一方、デンマークやフィンランドでは、首相自ら「子ども記者会見」を行い、コロナや休校の必要性をわかりやすく説明し、「友だちとの誕生日会はキャンセルすべきですか?」などの質問に直接答えました。権利条約に基づき、子どもを権利を持つ主体として認め、おとなと同じひとりの人間として尊重しているかどうかが、この違いに表れています。

 公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは3日、1422件の「子どもアンケート」(小学生から18歳くらいまで)をまとめ、政府への提言を発表しました。

 アンケートの「困っていること」の問いには、「日常生活が送れていない・外出できない」(31・4%)、「体調やり患、心の変化、感染拡大への心配・懸念」(16・0%)、「勉強ができない、学力の低下、学校のこと」(15・7%)との答えが多数でした。コロナ対応策の要望では、「感染症対策」(15・6%)、「学校生活のあり方」(13・0%)、「情報提供や意見尊重」(9・3%)、「学校に行きたい 学校再開」(8・2%)が挙がりました。

 「パパとママにおやすみをあげて」(小2)、「コロナにかかった家族やしんせきなどにしえん金を出して」(小4)、「政府はちゃんと検査をして下さい」(中1)、「子どもの教育機会が失われたことについては、国からの補填(ほてん)も説明も無いままで…おかしい」(高2)などの要望もたくさんあります。

 政府、自治体は子どもの声をよく聴き、権利条約の視点をコロナ対策に取り入れるべきです。適切な情報提供とメッセージの発信、すべての子どもたちの多様な育ち・学びを保障し、格差を生まない対策なども急がれます。

多様な育ちと学びの場を

 乳幼児も、集団健診や子育て支援行事の延期・中止、保育園や幼稚園の休園など影響は深刻です。健康を守るとともに、遊びを通じ成長を保障できる工夫が必要です。

 障害のある子ども、不登校の子ども、家にいられない事情の子ども、多様な性の子ども、外国にルーツがある子どもなどにはきめ細かな支援を要します。経済的困難にある子どもの支えも不可欠です。家庭のストレス増大で高まる虐待リスクへの対応は急務です。

 どの子どももかけがえのない存在です。危機にある今こそ、子どもたちの「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」を保障していきましょう。


2020年5月5日

 切ない、そしてもどかしい「こどもの日」です。コロナ禍で思ったように遊んだり、学んだりできない状況が続きます。こんな時期だけれど、こんな時期だからこそ、未来を担う世代への願いと、支えるべき社会の責任について考えたいと思います。

 休校が決まった二月末、自由学園最高学部(大学部)の渡辺憲司学部長は「『今本当のやさしさが問われている。』コロナ対策に向けて」と題したブログを書きました。そこでは、感染症関係の学会で出会った研究者の言葉が引用されています。

◆感染症で恐ろしいのは

 「感染症は勿論蔓延(もちろんまんえん)が恐ろしい。しかしもっと恐ろしいのは病いに対する人々の差別と偏見です」

 ハンセン病に対する隔離政策、エイズや水俣病の人たちへの差別…。新型コロナウイルスで、感染症の誤った歴史が繰り返される危険があります。医療従事者や家族が、周囲の心ない言葉や対応に傷つき苦しんでいるという現実がすでにあります。感染した人や家族の家に投石や落書きするなどの陰湿な嫌がらせも明らかになっています。悲しいことです。

 「正義と柔軟な感性を持つ若さこそ社会と家庭を思いやりとやさしさに包まれた場所に引っ張って行けるのです」。そう若い世代への期待を記した渡辺さんに「やさしさ」の意味するところを尋ねてみました。

 「『やさしさ』は『痩せし』。自分の身を痩せさせることであり、辛(つら)いことでもあるんです」

 新型コロナウイルスは誰でも感染する可能性があります。不安や恐怖にのみ込まれそうになります。自分も痛みを感じている中で、相手の憂いをくみ取ることができるかどうか。やさしくするって、実は大変なことなのかもしれません。

◆大林宣彦監督の言葉

 福島の人々を取材していると、二〇一一年の東京電力福島第一原発事故の後に起きたことと、今の状況を重ねて心配する声を聞くことがあります。福島ナンバーの車が県外で差別的な扱いを受けたり、その後も避難した子どもたちがいじめられたりしました。「あの時と同じようなことが、コロナで起きてほしくない」。その声は切実です。

 四月に亡くなった映画監督の大林宣彦さんは一四年、福島の高校生に向けて、励ましの言葉を贈っています。高校生を対象にした映像フェスティバル。相馬高校放送局の作品「ちゃんと伝える」を、大林さんが特別賞に選び、その表彰式の席上でのことです。

 「痛みを感じる体験をした人の方が、うんと人を思いやったり、やさしくなったりする能力を神様から与えられている。(福島の高校生の)作品を見せてもらうことは被災の状況や悲しいことを超えて、人間の勇気ややさしさや失っちゃいけないものを再認識させてくれる力がある」

 晩年に「この空の花-長岡花火物語」(一二年公開)などの戦争三部作を撮った大林さんは同じ席でこんなことも言っています。「悲しいこと、辛いことは忘れることで生きていられるってこともある。自分たちはそれでいいけど、未来の子どもたちが歴史を知らないと同じ過ちを犯すから、やっぱり伝えておこうと」

 社会が差別や偏見に満ちた暗い方向へと転がってしまうのか、それともつながりを深めて問題解決にあたる方向へと歩みだせるのか。私たちは今そのことが問われています。周囲の苦しみもくみ取りながら考えたこと、感じたことは、コロナ後の社会の針路を定めていく原動力になっていくでしょう。そして若い世代には、それをさらに次世代に伝えていく時間もたっぷりあります。

 さて、この原稿を書くにあたり、自由学園の渡辺学部長からは、一つ注文を受けています。こどもの日はむしろ、子どもを包み込む社会がどうあるべきかを書くべきだと。政治家から子どもや若者を思いやる肉声が聞こえてこないことに、教育者として怒っていました。

◆大人がまず身を削って

 休校が続き、経済的に困っている家庭の子どもたちの栄養状態が心配されています。閉鎖的な環境で、虐待やDVの問題もいっそう深刻になっています。大学生たちはアルバイトがなくなり、退学を考えるなど深刻な経済状況が明らかになってきています。

 子どもや大学生の困難はコロナ禍で生じたわけではなく、もともとあった問題があらわになったという側面があります。社会はそこからまず反省をしなければなりません。そのうえで十分な手だてを講じていかなくては。将来を担う世代のために、身を削って「痩せし」にならなくてはいけない責任はまず大人たちが負うべきです。

Ⅰ問題の所在

 東京新聞に掲載された『性暴力被害 世論が報道を「変わらせた」 <寄稿>ライター・小川たまかさん』は、意義ある評論であった。

 ひとつは、他の論者や視角を読者に提起している。

【関連記事】#MeTooの高まりと伊藤詩織さんの勝訴

 【関連記事】被害実態を反映して 刑法の性犯罪規定見直しを要望

 【関連記事】フラワーデモのうねり 寄稿・北原みのりさん

 さらに小川たまかさんご自身が大切な問題提起をされている。

【 これまで、学校や職場での性差別なんてレア、性暴力被害に遭うなんてレア中のレア、だからニュースの重要度は低い―という意識が、マスコミの中にもあった。それが少しは変わってきたのではないかと思います。変わったのだとすれば、それは世論が「変わらせた」のだと私は思います。

 医大の女子受験生減点問題、#MeToo、元財務次官のセクハラ事件、週刊誌の「ヤレる女子大学生ランキング」、性犯罪の相次ぐ無罪判決、職場でのパンプス靴の強制をなくそうと訴える#KuToo、就活セクハラ、伊藤詩織さんの民事裁判での勝訴…。

 世論を受けて報道が変わる。今はこの流れがあると感じていますが、安心はできません。ほんの少し前、二〇〇〇年代にはジェンダー平等へのバックラッシュ(反動)があったからです。「言ってる内容はわかるけど言い方がちょっとね…」なんていう、感情的な「トーンポリシング」には、その都度抗っていきたい。

 昨年末の伊藤詩織さんの民事裁判の勝訴は本当にホッとしました。裁判は控訴審で続くとはいえ、「良かった」と感想を漏らす人の多さに驚きました。】

高まる「#MeToo」 社会の転換点に  詩織さんから勇気もらった女性たち「もう黙らない」

(出田阿生)

【 二〇一七年の伊藤さんの告発会見は、大勢の被害者を勇気づけてきた。翌一八年、テレビ朝日の女性社員が、当時の財務事務次官のセクハラを告発。東京都内では若者が性暴力に「私たちは黙らない」と訴える街頭行動を始めた。性的対象として女子大学生をランク付けする雑誌の特集に、当事者の大学生らが編集部に抗議し、対話を求めた。

 今年三月に相次いだ性犯罪事件を巡る無罪判決が、さらに世論を動かした。嫌がる娘をレイプした実父が無罪となるなど、被害実態を反映しない司法への抗議から、四月に東京駅前で花を持って被害者に思いを寄せるフラワーデモがスタート。毎月一度のデモは各地に広がり、今月は全国の三十一都市で開催された。デモでは一般の参加者がマイクを握り、震える声で被害体験を告白している。】

性犯罪、刑法見直し要望 法務省に市民団体 無罪相次ぎ「問題」

【 刑法は二〇一七年、性犯罪の厳罰化などを目的に百十年ぶりに改正されたが、今年三月には実の娘をレイプした父親が無罪となるなど、性暴力事件の無罪判決が相次いだ。被害者が激しく抵抗できないと加害者を罪に問えない「暴行・脅迫要件」が改正後も残ることなどが問題とされた。

 改正時の「三年後の見直しを検討する」との付則に基づき、法務省は昨年から被害者への聞き取り調査を実施しているが、見直しに必要な検討会の設置には、いまだに明言がない。この日は東京都内で集会と記者会見も開かれ、被害当事者団体「スプリング」の山本潤さんは「性暴力に抗議するフラワーデモが全国で開催され、改正を求める声が社会に広がっている」と強調。

 「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」の周藤由美子共同代表は「前回の改正では、検討会のメンバー十二人のうち、被害に詳しい専門家は二人だけ。当事者や専門家を一定割合入れる必要がある」と指摘した。】

勇気ある声が、次の声を呼ぶ 性暴力被害「フラワーデモ」のうねり 〈寄稿〉北原みのりさん

【 この間、記者と話す機会も多かった。一連の無罪報道の口火を切った福岡地裁久留米支部判決を速報したのは、毎日新聞の女性記者だ。同じく男性社会であるマスコミでは多くの女性記者が日常的なセクハラにあえぎ、当事者として性暴力の問題にかかわろうとしていた。性暴力の無罪判決自体が最近増えたのかどうか、正確には分からない。だが少なくとも「これは報道すべき事実」と考えた記者がいたから、私たちは司法の現実を知ったのだ。

 私たちは性暴力被害者に、ずっと絶望を強いてきた。だが今や、勇気を出して上げられた声は、次の声を呼ぶのだと実感している。まずは刑法で、同意がない性行為は犯罪だと定める必要がある。今はフラワーデモの当面の目標を、来年が見直し時期となっている刑法改正とし、しばらくは続けていこうと思うも痛みを感じている人の声に寄り添い、その声が社会を変えていけると信じたい。】

【私見】

 民衆派フォトジャーナリストが、セクハラで今までの信頼を一気に失ってしまった。1970年代に「ウーマンリブ」運動が起きた頃に、私はベーベルの『婦人論』を選択する側にいた。流行するモードとしての社会運動と根本的な解決を求めて噴出する運動とを私たちは見分けるべきである。

 だが、日本でも世界中にも席倦している運動は、人類史のいつからか、女性が不当な扱いと暴力の差別や偏見を、克服しようとする重みを備えている。

 さらに、思想や公共性の次元ではなく、日常と暮らしの中から女性が不合理な差別を克服する切羽詰まった状況から抵抗する普段着の現実的な日常的な闘いの表現だと考える。

勇気ある声が、次の声を呼ぶ 性暴力被害「フラワーデモ」のうねり 〈寄稿〉北原みのりさん

2019年8月8日東京新聞転載

各地で相次ぐ性暴力事件無罪判決に抗議のフラワーデモが開かれている=6月中旬、東京都千代田区で

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 今年三月、性犯罪事件の無罪判決が四件相次いだ。女性が抵抗できない状況だったと認めたのに無罪、父親による娘への性暴行も無罪…。司法の理不尽さへの怒りと悲しみから、花を持って性暴力の被害者に寄り添う「フラワーデモ」が四月に始まり、毎月十一日に開催されるようになった。今月十一日にも全国各地で開かれる。共感が広がる背景には、長年被害の苦しみを無視してきた社会への異議申し立てがある。

 一連の無罪判決が報道された直後、私は衝撃でいてもたってもいられない思いに駆られた。友人と一緒に、「四月十一日に花を持って集まろう」とツイッターで呼びかけた。団体を通じた動員がなかったにもかかわらず、その晩、東京駅前に四百人以上が集まった。

 驚いたのは予定のスピーチが終わって一時間たっても、誰も帰ろうとしなかったことだ。群集の一人が、「話したい」と手を挙げた。幼少期に性暴力を受け、そのトラウマで学校にも行けなくなり、やっと手にした非正規の仕事でさらにセクハラを受けた人だった。

 「なぜ、被害者が転々としなくてはいけないのですか」。その叫びは次の声を呼び、次の語りはまた次の語りを呼んだ。そこにあったのは、戦略のない、ただ「いてもたってもいられない」という思いだった。

 間もなく福岡と大阪から「こちらでもやりたい」とメールが届いた。声は勢いよく広がり、五月は全国で三カ所、六月は十カ所、七月は十四カ所でフラワーデモが開催された。

フラワーデモでプラカードを掲げる参加者=6月中旬、東京都千代田区で

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 性暴力被害者の多くは女性と子どもだ。デモで「(性暴力を振るわれたときに)殴られれば良かった」と話す女性が何人もいた。「触られた」と訴えるだけでは取り合ってもらえないからだ。胸がふさがる思いだった。長年女性運動をしてきた人が、デモ参加後に電話してきた。「若い女性が、こんなに苦しんでいるなんて、いったい私たちは何をしてきたのか」と。

 震える声で語られる参加者の話はみな違うが、一本の線でつながる。それは性暴力の多くが「なかった」ことにされてきた事実だ。

 韓国は、性暴力被害者への支援が日本の比ではないレベルで充実している。背景にあるのは、沈黙を強いられる彼女・彼らの声を聞く社会の力だ。性暴力の痛みを訴える「#MeToo」は、その声を信じて支える「#WithYou」(あなたと共に)が不可欠なのだ。だから、フラワーデモの花には「あなたの声を聞く」という意思表明を込めた。日本社会には、その意思がずっと欠けていたのだと思う。

 この間、記者と話す機会も多かった。一連の無罪報道の口火を切った福岡地裁久留米支部判決を速報したのは、毎日新聞の女性記者だ。同じく男性社会であるマスコミでは多くの女性記者が日常的なセクハラにあえぎ、当事者として性暴力の問題にかかわろうとしていた。性暴力の無罪判決自体が最近増えたのかどうか、正確には分からない。だが少なくとも「これは報道すべき事実」と考えた記者がいたから、私たちは司法の現実を知ったのだ。

 私たちは性暴力被害者に、ずっと絶望を強いてきた。だが今や、勇気を出して上げられた声は、次の声を呼ぶのだと実感している。まずは刑法で、同意がない性行為は犯罪だと定める必要がある。今はフラワーデモの当面の目標を、来年が見直し時期となっている刑法改正とし、しばらくは続けていこうと思う。最も痛みを感じている人の声に寄り添い、その声が社会を変えていけると信じたい。

 (きたはら・みのり=作家)

性犯罪、刑法見直し要望 法務省に市民団体 無罪相次ぎ「問題」

2019年11月22日 東京新聞

法務省に要望書を提出後、会見する市民団体の代表ら=21日、東京都内で

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 刑法の性犯罪規定の見直し時期を来年に控え、被害当事者団体など十二の団体でつくる「刑法改正市民プロジェクト」が二十一日、「二年前に改正された現行法でも救われない被害者が大勢いる。一刻も早く、被害実態を反映した法の見直しを検討してほしい」と法務省に要望した。

 刑法は二〇一七年、性犯罪の厳罰化などを目的に百十年ぶりに改正されたが、今年三月には実の娘をレイプした父親が無罪となるなど、性暴力事件の無罪判決が相次いだ。被害者が激しく抵抗できないと加害者を罪に問えない「暴行・脅迫要件」が改正後も残ることなどが問題とされた。

 改正時の「三年後の見直しを検討する」との付則に基づき、法務省は昨年から被害者への聞き取り調査を実施しているが、見直しに必要な検討会の設置には、いまだに明言がない。この日は東京都内で集会と記者会見も開かれ、被害当事者団体「スプリング」の山本潤さんは「性暴力に抗議するフラワーデモが全国で開催され、改正を求める声が社会に広がっている」と強調。

 「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」の周藤由美子共同代表は「前回の改正では、検討会のメンバー十二人のうち、被害に詳しい専門家は二人だけ。当事者や専門家を一定割合入れる必要がある」と指摘した。

高まる「#MeToo」 社会の転換点に  詩織さんから勇気もらった女性たち「もう黙らない」

2019年12月19日 東京新聞転載

性暴力被害を巡る訴訟の判決後、東京地裁前で「勝訴」と書かれた紙を掲げるジャーナリストの伊藤詩織さん=18日午前

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 勝訴判決までには、「#MeToo」の高まりなど、性暴力被害者を巡る国内外の変化があった。

日本外国特派員協会で記者会見する伊藤詩織さん=2017年10月24日、東京都千代田区で

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 二〇一七年の伊藤さんの告発会見は、大勢の被害者を勇気づけてきた。翌一八年、テレビ朝日の女性社員が、当時の財務事務次官のセクハラを告発。東京都内では若者が性暴力に「私たちは黙らない」と訴える街頭行動を始めた。性的対象として女子大学生をランク付けする雑誌の特集に、当事者の大学生らが編集部に抗議し、対話を求めた。

 今年三月に相次いだ性犯罪事件を巡る無罪判決が、さらに世論を動かした。嫌がる娘をレイプした実父が無罪となるなど、被害実態を反映しない司法への抗議から、四月に東京駅前で花を持って被害者に思いを寄せるフラワーデモがスタート。毎月一度のデモは各地に広がり、今月は全国の三十一都市で開催された。デモでは一般の参加者がマイクを握り、震える声で被害体験を告白している。

性暴力の被害者の告白に耳を傾け、根絶を訴える支援者たち=JR浦和駅前で

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 二年前に職場の上司から性暴力を受けた関東地方の女性(36)は、今回の判決のニュースを知り「勇気づけられた」と涙ぐんだ。

 自らの被害の数カ月後、伊藤さんの会見が報じられ、会社に訴えようと決意。加害者は事実関係を認めたが、口頭注意だけで処分は終わった。「詩織さんがいなかったら、私も泣き寝入りしていた。(判決が)日本社会の転換点になってほしいです」と話した。

 性犯罪の現場は多くが密室で、立証が難しい。だが判決は、伊藤さんの供述や事後の行動を、被告の主張と比較して丁寧に検討し、一貫性や合理性を認めた。裁判を傍聴してきた作家の北原みのりさんは「詩織さんの闘いの意味を認め、被告の言い分を完全否定した強い判決。社会が被害者の声を聞き取ることが重要だと感じる。この判決が来年の刑法見直しにつながってほしい」と期待を込めた。(出田阿生)

性暴力被害 世論が報道を「変わらせた」 <寄稿>ライター・小川たまかさん

2020年1月15日東京新聞転載

花やプラカードを手に性暴力反対を訴えるフラワーデモの参加者たち=昨年11月、名古屋市内で

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 性犯罪の無罪判決が相次いだことを受け、花を手に人々が集まるフラワーデモが昨年四月に始まり、全国に広がっています。そこでは被害当事者が経験を語ることがあります。誰かがお願いしたわけではなく、自然と声が上がりました。

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 主催者の一人、北原みのりさんがこんなふうに言っていました。

 「受け止めてくれる場所があるならしゃべりたいと思っていた当事者は、実は多かったのではないか」

 性被害の経験は「勇気を出さないと話せない」と言われているけれど、話しづらくしてきたのは社会の側。当事者が話そうと思える場所が、これまではあまりにも限られていたのかもしれません。

小川たまかさん(安井信介さん撮影)

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◆「考えすぎ」と言われ 違和感封じ込め

 自分の覚えた違和感を口に出すにはエネルギーが要ります。「これってセクハラなんじゃないか」「痴漢されて嫌だった」…。そんな疑問や違和感を誰かに話したとき、「考えすぎだよ」「そのぐらいみんな我慢している」と言われてしまったら、次に言おうとするときはもっとエネルギーが必要になります。

 私が性暴力について取材を始めたのは二〇一五年ごろ。当時ワイドショーでは男性芸人が「女性専用車両にはブスばかり乗ってるんでしょ?」と言っていたし、女性タレントも「ハロウィーンの渋谷に痴漢されるような格好で行く女性も悪い」と発言していました。

 目立つ場所で目立つ人がこのように言うことで、自分の中の違和感を封じ込めた人もいると思う。

 二〇年の今も、性差別や性被害について心ないことを言う人はいます。ただ、当時と今では少し変化があると感じています。

◆少しずつ大きくなる声

 五年前、「痴漢」で検索するとポルノや痴漢冤罪に関する書籍しかなかったけれど、今は被害(加害)と向き合う書籍が複数見つかります。ある映像メディアの関係者は「数年前には通らなかった痴漢被害の企画が通った」と教えてくれました。性被害に関する記事をネットで出したところ、反響が大きく、「上司の意識が変わった」という話も聞きます。

 これまで、学校や職場での性差別なんてレア、性暴力被害に遭うなんてレア中のレア、だからニュースの重要度は低い―という意識が、マスコミの中にもあった。それが少しは変わってきたのではないかと思います。変わったのだとすれば、それは世論が「変わらせた」のだと私は思います。

 医大の女子受験生減点問題、#MeToo、元財務次官のセクハラ事件、週刊誌の「ヤレる女子大学生ランキング」、性犯罪の相次ぐ無罪判決、職場でのパンプス靴の強制をなくそうと訴える#KuToo、就活セクハラ、伊藤詩織さんの民事裁判での勝訴…。

 一七年は百十年ぶりに刑法の性犯罪規定が大幅に改正された年ですが、このころからいくつもの性差別・性暴力問題が大きく報じられてきました。そのたびに声を上げた人がいたからです。声を上げれば必ずバッシングされるけれど、一方で必ず声を受け止めて応えてくれる人もいる。その存在に支えられて、声を少しずつ大きくする。その繰り返しなのだと思います。

◆安心はできない

 世論を受けて報道が変わる。今はこの流れがあると感じていますが、安心はできません。ほんの少し前、二〇〇〇年代にはジェンダー平等へのバックラッシュ(反動)があったからです。「言ってる内容はわかるけど言い方がちょっとね…」なんていう、感情的な「トーンポリシング」には、その都度抗っていきたい。

 昨年末の伊藤詩織さんの民事裁判の勝訴は本当にホッとしました。裁判は控訴審で続くとはいえ、「良かった」と感想を漏らす人の多さに驚きました。何も言えないけれど見守っていた、そんな人も多かったのではないでしょうか。

 <おがわ・たまか> ライター。著書に『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』


 新型コロナウイルスのどさくさに紛れ、安倍晋三政権が無理を押し通そうとしている。検察庁法の改正だ。解釈変更による黒川弘務東京高検検事長の定年延長で批判を浴びたのに、延長を可能にする規定を明記する構えで、改正案は16日に審議入りした。ほかにも不要不急な上、賛否が分かれる法案が国会に提出されている。「国家の緊急事態」の裏で、何をするつもりなのか。 (稲垣太郎、石井紀代美)(4月22日 東京新聞紙面から)

2019年01月16日 

 佐高信氏の『「憲法を求める人びと5」山城博治さん』を拝読。山城さんは、作詞家でもある。「沖縄今こそ立ち上がろう」は、パリ5月革命にゆかりあるとも言われる「美しき五月のパリ」のメロディに、山城さんが作詩した替え歌でもある。その歌詞は、格調もあり原曲に匹敵する。

 山城さんが長期不当勾留された時、インターネットを通じて拘留抗議と早期釈放の声が高まった。私もアムネスティの署名に参加するとともに自らのフェイスブックサイトで呼びかけ、百人台の協力を得た。

 沖縄県民は戦後も変わらず続いている厳しい政治状況の中で、闘い磨かれ逞しい。翁長雄志県知事のもと結集する「オール沖縄」には驚いた。保守から左翼まで、日本の統一戦線運動史にも広範で骨太、画期的な統一戦線を結成した。2月の名護市長選、9月の沖縄県統一地方選、11月の沖縄県知事選と、今年は《沖縄選挙年》である。

 沖縄県は議会闘争と共に、市民運動の先駆性においても優れている。反基地闘争の先頭にいる山城氏は、一方では反基地のデモ隊が挑発に乗って跳ね上がらぬように、抑制しつつ機動隊とデモ隊の間に位置していた。その山城氏を米軍基地敷地内部に引きずりこんで拉致した。

 いま日本と周辺のアジア各国の間には、戦争の懸念材料が高まっている。それは北朝鮮、ではない。貴誌読書欄に執筆された書評はジョン・W・ダワー著書から、「第2次世界大戦以降2002年までに米国は263回の戦闘行為を実施」し、最近も多くの実態を紹介している。韓国、北朝鮮、中国。介入するトランプ米国と追随する安倍日本。困難さの中でも沖縄県民は「勝つことのコツは諦めないこと」として平和を保証する憲法の平和的生存権を担い続けている。その座標上にいる山城博治と翁長雄志。彼らと同時代を共有することに、喜びを感ずる。

2020年01月12日


編集者芝田暁の疾駆〜文化活性化の炎〜

櫻井智志

1:芝田暁とは?

 圧倒されるような情熱で、人生を疾駆していった。芝田暁54歳。芝田進午の次男として、高校大学と早稲田で学ぶ。芝田暁の恩師高橋敏夫教授は、暁氏の著作『共犯者―編集者のたくらみ』

(駒草出版2018年11月)の解説「きらめく非常識へ跳躍する共闘者たち」でこう記している。

【引用開始】

 これは、もう芝田暁しかいない。

 徳間書店、幻冬舎、そしてみずから創業したスパイスで活躍、多くのベストセラーを生み出し若くしてエンターテインメント系編集者のレジェンドと言祝がれ、ノンフィクションや実録ものの制作にも携わったのち、今は朝日新聞出版にいる芝田暁の話を学生に聞かせたい、と私は切望した—。

(中略)

 講義概要にはこう記した。ノンフィクションは、事実をただ記述する事実追認型のジャンルではない。個々のノンフィクションライターが、確固とした思想と、独自の取材方法と、独特な文体によってつくりだす事実発見型のジャンルであり、その発見にもとづく事実批判型(さらに「事実をのせている構造」批判型)のジャンルである。

文学部の学生には、表現者志望の者と同じぐらい編集者志望の者がおり、表現者とともに作品制作にかかわる創造的な編集者の日々を知りたいという要望があった。

 これは、もう、芝田暁しかいない—。

【引用終了】

芝田暁は、早大で高橋敏夫教授に学んだ。幻冬舎等で著者を援護する「共犯者としての編集者」を続けた。昨年6月9日、「平和のためのコンサート」会場で購入。熱意溢れる好著だ。暮れ12月22日永眠。闘病生活も綴られている。芝田進午・貞子ご夫妻のご次男である。幾度か著作の中で見た両親やご家族への言葉に胸が熱くなる想いがした。

2:大月書店・徳間書店・幻冬舎・スパイス

 高校時代自由奔放にアルバイト生活を過ごしていた著者は、早く大学を卒業して社会人として働きたいと思った。当時大学生の就職活動は四年生になってからで、大学四年になると、待ちに待った就職活動が始まった。

 著者は「父がかなり知られた左翼の学者なので、たぶん一般企業は無理だろう」と判断し、マスコミ企業のジャンルで、テレビ・新聞社と吟味して出版社を選んだ。

 講談社、集英社、小学館、光文社を受け、唯一大月書店から内定をもらった。1988年4月、入社。

「大月書店は民主的で従業員を大切にする雰囲気なので決して悪い会社ではなかった」。

こう著者は述べる。けれど三つの違和感から居心地が悪く、辞めたら会社に迷惑をかけるから最低一年間はがんばろうと決める。学生時代から古典は別として現代小説はほとんど読まなかった著者は、「このミステリーがすごい!」(宝島社)を読んでから、船戸与一、志水辰夫、北方謙三、逢坂剛、大沢在昌らを次々に読破。小説にしかできないリアルで圧倒的な世界観に、文藝編集者に強く関心をもつようになった。

 一年数か月が過ぎて、宮崎駿を輩出した「月刊アニメージュ」などを出していた徳間書店で「文藝書籍編集部」の求人を知り、中途採用試験に合格し採用された。

 

以後、徳間書店で59冊の単行本を編集している。小松左京、西村寿行、花村萬月、山田正紀、荒巻義雄、井沢元彦、吉岡道夫、赤川次郎、浅田次郎、梁石日(ヤン・ソギル)ら20人の作家の作品である。徳間書店入社とともに西村寿行を担当した。当時西村寿行と大藪春彦は徳間書店にとって最重要作家であるが仲が悪く、担当者は絶対に重ならないように会社の不文律があった。『紺碧の艦隊』の荒巻義雄も著者が担当した。初期の浅田次郎の作品を編集し続ける。最初は売れなかったが『鉄道員』(ぽっぽや)で直木賞を取ると、あっと言う間に屈指の人気作家に昇りつめ、今は直木賞選考委員を務めている。

 また著者が手掛けた山田正紀の『おとり捜査官』シリーズは、徳間書店、幻冬舎文庫、朝日文庫と出版社を移して、三社からタイトル(題名の漢字)や装丁を変えて続いた。テレビ朝日からテレビドラマ化され松下由樹が主演し2017年現在で20作のロングシリーズとなる。初期作品の担当プロデユーサーは、のちに『相棒』シリーズの立役者となる松本基弘である。

著者は徳間書店の労働組合書記長も歴任した。徳間書店徳間康快社長は傑物だったが、日中合作の大作映画『敦煌』などに投資して膨大な借金を抱え経営危機に陥っていた。経営者側と労組の板挟みで疲れきっていた。

 そんな著者を、幻冬舎が招いて、七年間在籍した徳間書店から幻冬舎へ移動した。

幻冬舎社長見城徹は、安倍首相と懇意になっていく。だが芝田暁にとり活躍の職場となった。事実、国立感染研(旧国立予研)の主任研究員で敬虔なクリスチャンの新井秀雄が、内部から感染研の安全性に疑問を感じ『科学者として』を2000年11月に幻冬舎から出版。この科学者の学問的良心の著作は、芝田暁が応援したことと推測する。

 幻冬舎で著者は66冊の著作を編集者として尽力する。数々の取り組みに見城轍社長のもとで活躍しつづける。梁石日の『血と骨』は、徳間書店オピニオン月刊誌「サンサーラ」で連載されていた。今は休刊となったが、小生も月刊誌「サンサーラ」に関心をもっていた。著者と梁石日との交友は信頼感につながり、サンサーラ休刊後は、「『血と骨』の出版を幻冬舎から出させてください」という芝田暁の願いに梁石日は静かに笑いながら快諾した。

 1998年1月に発売されると、見城徹は朝日・読売・日経・毎日に全五段の広告を打ち、初版1万五千部は破格の部数だったが、十万部売れ重版された。その後山本周五郎賞を1988年3月に受賞した。『血と骨』は2004年11月に公開。その過程はかなり著者の制作構想や計画とは異なる力学で苦闘の中で映画化に辛酸を舐めたことが綴られている。それでも映画化を実現した崔洋一監督はじめ制作側裏方の奮闘を讃えている。

 著者は、幻冬舎文庫も創刊に取り組み、自社から出版した単行本の梁石日と浅田次郎の 二冊を文庫にする担当となった。

 毎日新聞社会部編『破滅 梅川昭美の三十年』を幻冬舎アウトロー文庫に収録した。この親本は1979年に晩聲社から出されている。晩聲社は幻冬舎アウトロー文庫に収録することを快諾。社長の和多田進は、芝田進午社会学部教授の教え子で、著者は自らが学生の時からの知り合いであったそうだ。

 徳間書店に続き、幻冬舎でも、宮崎学、大谷明宏、森村誠一など多彩な人物の著作を「共犯者」として尽力し続けた。

 幻冬舎を円満退社後に、自らの出版社「スパイス」を2004年に創業している。森村誠一の「写真俳句」など異例の売れ行きをおさめる。西村健の「笑い犬」も出版した。

出版不況下で、経営者としてたえず会社のやりくりに、睡眠や食事も不十分な過酷な日々が続く。2007年1月、スパイスを廃業した。

3:森村誠一と宮崎学のあたたかさ

 森村誠一の奥さんから真心のこもった御品と十万円をいれた封筒と手紙が添えられていた。

【引用】1

「この度のことは残念でしたけど、またいつかご一緒にお仕事できると信じています。本の出来栄えもさることながら、芝田さんが一所懸命に売ろうとしてくださった姿勢に、大出版社には無い熱いものを感じ、感動致しました。私達も長生きして、是非また芝田さんに本を作っていただくことを楽しみにしています。 森村」

  著者は、「編集者冥利に尽きると感じいってしまい、いくら感謝の言葉を思い浮かべようとしても適切な言葉が見つからず、ただただその場に呆然と立ち尽くした。」

【引用】2

 しばらくして宮崎学からも電話があって、

「おおっ、芝田。久しぶりだな。元気か?渡したいものがあるから全日空ホテルまで取りに来てくれ」と言われて何だろう、と思って宮崎が打ち合わせでオフィス代わりにしていると宮崎が「取っとけ」と封筒を私に渡したので中身を開けると十万円が入っていた。

 私が恐縮して本当にすいません、助かりますとお礼を言うと、

「おおっ、芝田。男は会社を潰した数だけ大きくなるんだ。もう一回、出版社をやって何回でも潰せ!また良い本をつくろうな」

と宮崎学は笑顔で叱咤激励してくれた。

 私はうれしくて、

「いやあ、私は宮崎さんみたいには、とてもなれませんよ。とりあえずサラリーマンに戻ります」と笑って言い返した。

 私は宮崎学の器の大きさに改めて感動し、思わず涙腺が緩んだ。【引用終わり】

4:広範な影響

 著者はスパイス廃業後、ポプラ社一般書責任者を一年余り務め、2008年から朝日新聞社の出版部門が独立した朝日新聞出版の創業に合わせて入社し、文藝編集長などを経て宣伝プロモーション部に所属した。

 また、アメリカ在住の作家小手鞠るいは『炎の来歴』(新潮社)のあとがきを以下のように記している。著者が小手鞠るいの作品を編集したのはは朝日新聞出版『私の神様』一冊だったが。

【引用】

 この小説を書いているあいだ中、私は、ひとりの女性が私たちに呼びかけてくる声を聞いていた。そして今も、彼女から届けられた命の言葉に感電したままでいる。

世界を

すべての人間が人間らしく

平和に生きる場所にするか

それとも破滅させるか

それを決める責任は

みなさんの手にあるのです。

 アリス・ハーズの残した書簡集『われ炎となりて』と、哲学者・社会学者であられた芝田進午氏の著書『ベトナム日記 アメリカの戦争犯罪を追って』を私にご提供くださった、芝田氏のご子息、芝田暁氏に心より感謝いたします。

2018年4月

                   小手鞠るい

【引用終わり】

5:継承者芝田暁

芝田暁は、芝田進午の平和と人権の思想を見事に継承し、それを人々に伝えていた。

だが2016年に50歳でがんを発見。入退院を7回繰り返し、完治したと思えたが、2018年に再発し50日入院を余儀なくされた。

2019年6月に新宿で開催された第20回平和のためのコンサートでは、実行委員会の皆さんと芝田暁、芝田潤(芝田進午貞子ご長男)らご家族で受け付け会場で円滑な運営に携わっていた。出版のお祝をつげると穏やかな笑顔で頷かれた。

私は、2020年に芝田貞子様のはがきで喪中と知り、呆然とした。

芝田進午の「人類生存の哲学を求めて 実践的唯物論への道」を大衆文学の元場で見事に継承して54歳の人生を生き切った。

合掌